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(にほんこくけんぽう[1]、にっぽんこくけんぽう、旧字体日本國憲法: Constitution of Japan)は、現在の日本における国家形態等を規定している憲法[2]

この憲法は、象徴君主制無権天皇ともいう。)・国民主権直接民主主義が中心)・日本人一人ひとりの権利の尊重・三権分立を基本原理とする大日本帝国憲法(後述)の改正という形で制定されたが、改正元の憲法と異なり、国民主権(間接民主制が中心)・基本的人権の尊重・平和主義の三つを基本原理としている[3]。同じように見える権利の尊重でも、大日本帝国憲法が天皇を除く日本民族の権利を国内外問わずに保障する「民族の権利」の立場なのに対し、この憲法は日本国籍を有する者の権利を日本国内だけで保障する立場をとっている。

草案作成から議会審議まで一貫してGHQ統制がおよび、国際法違反で無効ではないかという指摘もある(後述)。

概要

日本国憲法は、法学部教授芦部信喜[4]の『憲法』によると硬性憲法の一つであり、「ほとんどすべての国の憲法は硬性である」[5][注釈 1]。ブリタニカ国際大百科事典などによると日本国憲法は「ブルジョア憲法[7][8]・「民定憲法」にも分類される[9]

法学修士社会科学科教授の荻野雄[10]の学術論文によると、近代現代国民主権では一般に、政治権威国民に由来すると見なされている[11][注釈 2]日本国憲法前文にも「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し」ているとある[13]

この憲法前文は、リンカーン大統領の言葉よりも明確に「人民による指導は人民の代表者による指導」であることを示している[13]。ただし日本やアメリカなどの憲法が定める立憲主義下では、代表者の権力乱用は、人権保障と権力分立(三権分立)により防止されている[14]

この憲法は、4998の文字数で構成される[15]日本の法体系における最高法規と明記され、この憲法の規定に違反する一切の法令等が無効とされる(日本国憲法第10章)。

歴史的概要

憲法改正の指示とGHQ草案の受け入れ要求

日本政府1945年9月2日に、民主主義的傾向復活強化日本国民自由に表明する意思に従っての平和的傾向(平和主義)を有する責任ある政府の確立を柱とする日本政府の有条件降伏日本軍の無条件降伏を求めたポツダム宣言を受諾し、日本は連合国軍総司令部(GHQ)の占領下になった[16][17][18]

ポツダム宣言は日本軍の無条件降伏を要求しているだけであり、日本政府には有条件降伏を求めている[16][17][18]米国側も、国務省覚書では有条件降伏という位置づけをしている[16][17][18]。また、ポツダム宣言についてバーンズ回答では「天皇及び日本政府はマッカーサーに隷属すること」「マッカーサーは主に降伏条項の実施のための措置をとる」「日本の最終的な統治形態は日本国民の自由に表明する意思により決定される」とした[19]

1945年11月、GHQはポツダム宣言実行のために必要だとして当時の幣原喜重郎内閣に対し憲法改正を指示した[20]。しかし、憲法学者美濃部達吉佐々木惣一はポツダム宣言には憲法改正を要求する条項はなく、大正デモクラシーの復活・強化で要求に答えられるとして憲法改正に反対した[16][21][22][23]

1946年2月、日本政府が改正案をGHQに提出すると、GHQはそれを拒否し、自ら1週間で作った草案を受け入れるよう日本政府に厳しく迫った[16][24][25]。産経新聞によると、官邸周辺にB29爆撃機を飛ばし、「われわれは戸外で原子力の起こす暖を楽しんでいるのです」と言って威嚇した[25]。日本政府はこれを受け入れると決定し、日本語訳したものを政府案として公表した[24]

独立国憲法はその国の議会政府国民自由意思によって作られる[16][26][27]。したがって、外国占領されているような時期にはつくるべきものでない[16][26][27]。それゆえ、戦時国際法占領軍被占領地現行法規尊重すべきとしている[注釈 3][26][28][29]。このことはハーグ陸戦条約などの戦時国際法に記載されており、これらの規定は占領軍がその国の憲法を変えることを禁止しているとするのが通説である[16][29]。戦時国際法と同じ考えから占領軍がその国の憲法を変えることは国際慣習法禁止されている[30]。しかし、日本政府は日本国憲法を現在も有効なものとして扱っている[31]

国際慣習法と戦時国際法で占領軍が憲法を変えることが禁止されているが、日本政府は戦時国際法の一つであるハーグ陸戦条約を取り上げ、これは交戦中(戦争状態)に適用され、交戦後の占領には適用されず、当時の日本と関係が無いと主張している[26]。しかし、1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約は日本と連合国との戦争状態を終わらせるために締結されたもので、第1条で「日本国と各連合国との戦争状態は...終了する」と規定している[32][33]

仮にハーグ陸戦条約の「交戦」が法的な戦争状態ではなく戦闘を意味するとしても、第44条には「交戦者ハ占領地ノ人民ヲ強制シテ」とあるのに対し、現地の現行法規を尊重すべきとしている第43条が「占領者ハ絶対的ノ支障ナキ限占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ」として、「交戦者」と「占領者」を明確に分けていることからも、少なくとも現地の現行法規を尊重すべきとしている第43条は交戦中にとどまらず、交戦後にも適用される規定であることは明白である[34]

また、「軍ニ適用スルノミナラス左ノ条件(いわゆる交戦者の四条件)ヲ具備スル」とあることからも分かるように、ハーグ陸戦条約は「占領軍」などのはいわゆる交戦者の四条件に関係なく、交戦者であるとしている[34]。特別法(ポツダム宣言とバーンズ回答)は一般法(戦時国際法と国際慣習法)に優越するため、戦時国際法や国際慣習法は無視して良いという主張もあるが、特別法が明確に要求しない事項については一般法が適用されるため、ポツダム宣言もバーンズ回答も憲法改正を明確に要求していない以上は、戦時国際法と国際慣習法が適用される[16]。また、無条件降伏だから良いという説は明確に否定されている[16]

さらに、ポツダム宣言は第12項で「平和的傾向(平和主義)を有する責任ある政府の確立」に「日本国民の自由に表明する意思」に従うこと、バーンズ回答第5項は「日本の最終的な統治形態は…日本国国民の自由に表明する意思」により決定とされるとしている[16][17][18][19]

戦時国際法や国際慣習法と同じ考えからフランスは、1958年制定フランス憲法第89条第5項で「領土が侵されている場合、改正手続に着手し、またはこれを追求することができない」と規定している[35][36][37]。日本国憲法と同じく占領下にあったドイツでは新憲法ではなくボン基本法を成立させ、第146条で「ドイツ国民が自由な決定によって決議する憲法が施行される日に、その効力を失う。」と規定した[38][39][40][41]。それゆえ、成立過程からして日本国憲法は無効であり、新たな憲法は大日本帝国憲法改正して作るべきという議論が根強く存在する(日本国憲法無効論[16][27][42][38]

日本国憲法無効論では、日本国憲法が無効であっても、その下に成立する法律判決が無効とならないよう対策されている[27][43][44][45][18]。例えば、ほとんどの無効論は、推定有効という公法学の考え方を使って日本国憲法の下に成立する法律や判決が有効だとしている[27][43][44][45]。また、推定有効以外で有力な講和条約説では日本国憲法は大日本帝国憲法第14条に基づく講和条約として有効であり、「憲法として」のみ無効だとする[18]

推定有効とは、本来、無効法令であっても、一旦、形式的に有効な法令として成立した以上は、立法機関などの国の指導者は本人の意思にかかわらず、本来無効な法令を「有効」と考える(推定する)しかなく、これは国の指導者が「日本国憲法は有効だ」という「詐欺」を受けている状態だといえるため、無効な法令自体は有効でなくとも、無効な法令に基づく行為(法律の制定や裁判所の判決)は直ちに無効とはならず、取り消すことができるという考え方であり、民法上の「無効」と詐欺による行為などに適用される「取り消し」の違いに着目した考え方である[27][42][44][45]

日本国憲法を維持し続けるデメリットとして、①日本国憲法が一度でも改正されてしまえば、日本国民は強制された日本国憲法を憲法として認めたことになり、再び外国に占領された際に憲法押し付けを拒否することができなくなる、②日本国憲法の正当性を脅かす成立過程を隠蔽するため、例えば、議会審議は自由だった、GHQ草案は押しつけではなかった、国民が『自由に』日本国憲法を支持した、大日本帝国憲法体制は封建主義で日本国憲法によって「解放」されたんだから押し付けられてもしょうがない、ポツダム宣言で無条件降伏したんだから押し付けられてもしょうがないなどの嘘を公民教育歴史教育を通じて国民に教え込み続けなければならないなどがあげられる[27]

さらに、暴力革命やクーデターで新たな憲法が制定されたとしても、それが日本人によるものであれば、外国人が書いた『日本国憲法』よりは正当性があるということになり、無法な暴力に道を開くことも懸念されている[27]。また、日本国憲法を一度でも改正すれば、①のデメリットに加えて、占領者による強制憲法さえも有効となってしまう以上、それがたとえクーデター政権によるものであっても、どんなものでも有効となってしまうという問題も起こる[27]

逆に日本国憲法の無効確認まではいかなくとも、国家の第1の役割が防衛、第2の役割が社会秩序の維持、第3の役割が国民の福祉の増進(社会資本の整備)、第4の役割が国民一人ひとりの自由権利の保障であるという常識が国民に浸透していれば、芦田修正と「自然法自然権は憲法によっても侵されない」という原則から、自然権である交戦権自衛戦力を保持する権利の回復は日本国憲法第9条の下でも可能である[27][46]

小山常実によると、日本国憲法第9条解釈を自然法に基づいて正しく捉え直す方が、自衛隊明記の改憲に比べてリスクなく、かつ効果的に、しかも迅速に行うことができるという[46]

なお、成立過程に問題があったとしても70年以上経過しているから有効であるとする時効説(追認説)に対しては、憲法学者や公民教育は、「日本国憲法」を正当化するために、国民が支持したとか、議員が自由に審議し修正をしたとか、嘘をつきつづけており、正確な情報が国民一般に明らかにされていないわけだから、時効・追認・定着のための期間は進行しようがないとの厳しい批判がある[27]

また、大日本帝国憲法の復活により一定の問題が生じることを懸念する向きもあるが、小山常実は「憲法無効論は何か」において日本国憲法の無効を確認した後、「新憲法が作られるまでの臨時措置法を制定すること」で対応可能としている[27]。そして、無効論へのよくある誤解として「戦後五十九年間「日本国憲法」に基づき日本国が行ったことは全て無効であったことにされてしまう」があるが、実際には日本国憲法は推定有効の状態にあり、そんなことは無いという[27]

統制された議会審議

政府案が公表されると、衆議院議員総選挙が実施された[22]。この選挙はGHQ草案をもとにした政府案(3月6日案)に対する国民投票の役割を果たせさせようとして行われたものだったが、国民の第一の関心は当面の生活の安定にあり、憲法問題に対する関心はほとんどなかった[16][21][47]

なお、1946年1月4日にGHQは公職追放指令を出していた[48]。そのため、この選挙のときは現職議員の83%は公職追放により立候補できなかった[48]。新たに立候補しようとした者のうち、93名は公職追放され、立候補できなかった[48]。さらに、5月から7月にかけて議会審議中にも、貴族院議員172名、衆議院議員10名が公職追放された[48]

また、当時、プレスコードによりあらゆる出版物がGHQによる事前検閲の対象となった[21][49]。特に「GHQが日本国憲法を起草したことへの言及と成立での役割への批判」を行うことはかたく禁じられた[21][49]。この検閲指針は、実際には「日本国憲法」の成立に対するGHQの関与への言及自体を禁ずるものだった[27]

このような状況の中で政府案は6月から10月にかけて帝国議会で審議された[22]。議会審議では、日本側による修正には全てGHQの承認が必要だった[27]。さらに、議会審議中にもGHQによる修正命令が続けられ、逆らうことができなかった[27]。このような議会審議では、主に衆議院憲法改正特別委員会小委員会の審議を通じて若干の修正が行われた[22]

例えば、原案の前文には「ここに国民の総意が至高なものであることを宣言し」とあったが、国民主権を明記せよというGHQの指示があり「ここに主権が国民に存することを宣言し」と修正された[16][22][26][50]。この小委員会の審議は秘密会として開かれ、議事録も1995年まで秘密された[51][52]

また、第9条第2項の冒頭に「前項の目的を達するため」を加えるいわゆる芦田修正案が提示されると、自衛戦力が肯定されたと解釈した極東委員会は貴族院帝国憲法改正案特別委員小委員会での審議のさいにGHQを通じて文民条項の追加を指示し、その通りに修正することで芦田修正案が承認された[22][53][54][55]。この小委員会の審議では議員以外の傍聴は認められず、議事録は1996年まで秘密にされた[56][57]

このほか普通選挙に関する条文の修正などGHQ側の指示に基づく修正が行われた[22]。このような若干の修正を経て、日本国憲法は貴族院衆議院で賛成多数により採択された[22]

その後、日本国憲法は1946年11月3日に公布され、翌年5月3日に施行された。

このように、日本国憲法の成立過程においては、GHQ草案、議会審議の完全統制、事前検閲などにより日本の議会や政府、国民の自由意思は一切存在しなかった[27]。それゆえ、日本国憲法は無効との議論もある(前述)。

日本国憲法の理念・基本原理

日本国憲法の理念

日本国憲法の三つの基本原理(詳細後述)の根底には、「個人の尊厳」(第13条)の理念があるとする学説がある[58]

樋口陽一の1992年の著述では、ジョン・ロックの思想(国民の信託による国政)では人権思想の根もとには個人の尊厳があり、ロックの思想によれば日本国憲法の三大原理の根底に個人の尊厳の理念がある、とされている。また、芦部信喜の2007年の著述では、国民主権と基本的人権はともに「人間の尊厳」という最も根本的な原理に由来する、とされている[59]宮澤俊義は、個人の尊厳を基本原理として三大原理を示した(詳細後述)。

日本国憲法の三大原理と目的

日本国憲法には基本的人権の尊重・国民主権(民主主義)・平和主義の三つの基本原理[60]日本国憲法の三大原理)があるとする学説がある。この説の起こりは、制定された日本国憲法に対して宮澤が理論的・体系的な基礎づけを考案したことである。宮澤は日本国憲法の基本原理を「個人の尊厳」に求め、そこから導出される原理として、「基本的人権尊重」、「国民主権」、「平和国家」を示した。宮澤のこの考案は、戦後日本の憲法学の礎となった[61]

また宮澤は、日本国憲法の目的についても述べている。宮澤の1947年の著述によると、日本国憲法は、ポツダム宣言の条項を履行し、民主政治の確立および平和国家の建設を行うことを、その目的とする、とされている[62]。宮澤の1959年の著述では、個人の尊厳については、第13条の個人の尊重と同意であり、個人主義の原理を表現しており、基本的人権の概念はこの個人主義に立脚する、とされている[63]

平和主義(戦争放棄)

平和主義とは、平和状態を至上の価値とし、暴力や軍事を否定し、いかなる紛争も、合議と協調によって対応しようとするものである。憲法前文の「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」という文章とともに、恒久的平和を志向し、政府(国)による戦争行為の再発を防止するという要素を日本国憲法に含ませている[64]。また、これらの平和主義的理念を、日本国憲法第9条で具体化している[65]。9条1項で「国際平和の誠実な希求、国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇やその行使を永久に放棄」するとし、2項で「軍隊その他の戦力の不保持、交戦権の否認」を規定している。正式には以下の通りである。

第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条の解釈について学説には、「国際紛争を解決する手段」ではない戦争というものはありえず憲法9条第1項で全ての戦争が放棄されていると解釈する立場(峻別不能説)[66]、憲法9条第1項の規定は「国際紛争を解決する手段」としての戦争放棄を定めたもので自衛戦争までは放棄されていないが、憲法9条第2項で戦力の不保持と交戦権の否認が定められた結果として全ての戦争が放棄されたと解釈する立場(遂行不能説)[67]、憲法9条第1項の規定は「国際紛争を解決する手段」としての戦争放棄を定めたものであり自衛戦争までは放棄されておらず、憲法9条第2項においても自衛戦争及び自衛のための戦力は放棄されていないとする立場(限定放棄説)[68]がある[69]。このうち限定放棄説は、憲法9条は自衛戦争を放棄しておらず自衛戦争のための「戦力」も保持しうると解釈する[68]

これに対して政府見解は、以下のように解釈している。

  • 「憲法9条第2項は『戦力』の保持を禁止しているという解釈のもと、これは自衛のための必要最小限度の実力を保持することを禁止する趣旨のものではなく、これを超える実力を保持することを禁止する趣旨である[70][71][72]
  • 「交戦権を伴う自衛戦争と個別的自衛権に基づく自衛行動とは別概念で、後者については憲法上許容されている[73][74]

例として、以下の国会答弁がある[74][75]

自衛戦争の際の交戦権というのも、自衛戦争におけるこのような意味の交戦権というふうに考えています。このような交戦権は、憲法九条二項で認めないものと書かれているところでございます。一方、自衛行動と申しますのは、我が国が憲法九条のもとで許容される自衛権の行使として行う武力の行使をその内容とするものでございまして、これは外国からの急迫不正の武力攻撃に対して、ほかに有効、適切な手段がない場合に、これを排除するために必要最小限の範囲内で行われる実力行使でございます。— 平成11年3月15日 参議院外交防衛委員会、秋山收内閣法制局第一部長
個別的自衛権に基づく我が国を防衛するために必要最小限度の自衛行動というものは憲法が否定していないということを申し上げたのでございまして、いわゆる戦争の三分類による自衛戦争ができるんだということを申し上げたわけではないと。自衛戦争という場合には当然交戦権が伴うんでしょうけれども、先ほど我が国がなし得ると申し上げましたのは、自衛戦争という意味よりももう少し縮減された、あるいは次元の異なる個別的自衛権に基づく自衛行動というふうにお聞き取りいただきたいと思います。— 平成11年9月13日 参議院予算委員会、大森政輔内閣法制局長官

平和主義という言葉は多義的である。法を離れた個人の信条などの文脈における平和主義は(一切の)争いを好まない態度を意味することが多い。一方で、憲法理念としての平和主義は、平和に価値を置き、その維持と擁護に政府が努力を払うことを意味することが多い。日本国憲法における平和主義は、通常の憲法理念としての平和主義に加えて、戦力の放棄が平和に繋がるとする絶対平和主義として理解されることがある。これは、第二次世界大戦での敗戦と疲弊の記憶、終戦後の平和を求める国内世論、形式文理上、憲法前文と第9条が一切の戦力・武力行使を放棄したと解釈できること、第二次世界大戦以降日本が武力紛争に直接巻き込まれることがなかったことによって支えられた、世界的にも希有な平和主義だとされる。この絶対平和主義については、安全保障の観点が皆無なのではないかという意見がある一方で、世界に先んじて日本が絶対平和主義の旗振り役となり、率先して世界を非武装の方向に転換していこうと努力することが、より持続可能な安全保障であるとの意見がある。なお、これらとは別に自衛権は自明の理であり、自衛権の行使は戦争には該当しないとする意見がある。[要出典]

上記の議論から、日本政府が編成した防衛省(旧:防衛庁)の管轄下にある防衛組織である自衛隊陸上自衛隊海上自衛隊航空自衛隊)は外国からは事実上の軍隊陸軍海軍空軍)と認識されており憲法違反とする学説もあるが、日本政府の見解では「自衛隊は戦力には該当せず、憲法上許容されている」としている[76]。2023年3月現在、最高裁判所による憲法判断は下されていない。

原本

日本国憲法原本「上諭」(1頁目)
日本国憲法原本「御名御璽と大臣の副署」(2頁目)
日本国憲法原本「大臣の副署」「前文」(3頁目)

日本国憲法の原本は、国立公文書館に保管されており、不定期に公開されている[77]

日本国憲法の構成

日本国憲法の本文は、11章103条から構成されている。大別して、人権規定、統治規定、憲法保障の三つからなる。とくに、第3章の人権規定には「人権カタログ」という別称がある[78]

日本国憲法は、本文の他に、上諭と前文が備わっている。

上諭、あくまで単なる公布文であって憲法の構成内容ではない。しかし、制定法理との関係で問題となり、注目される。この上諭には、「日本国民の総意に基いて」という国民主権的文言と、天皇主権帝国憲法の改正手続が並列して明記されているからである(下記「成立の法理」参照)。

前文とは、法令の条項に先立って述べる文章であって、その法令の趣旨・目的・理念などを明示するものである。日本国憲法の前文には、国民主権基本的人権の尊重、平和主義という日本国憲法の三大原理が示されている。特に、第二次世界大戦直後という歴史的背景から、平和主義が強調され、これを根拠に個人の人権として平和的生存権を導く見解もある。もっとも、権利の内容と主体が明白ではないため、理念的な権利としてはともかく、裁判で主張できるような具体的な法的権利性を前文から直接に導き出すことは困難であると一般的には認識されている(参照:恵庭事件)。

条章構成

条章構成は以下の通り。全文はウィキソースを参照のこと。各条章の詳細については条章別の記事を参照のこと。


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